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「発見する喜びの先へ」
三宅唱インタビュー

三宅唱監督がiPhoneのカメラを使って撮影し続けている「無言日記」。WEBマガジン「boidマガジン」の連載として2014年から約1ケ月ごとにその映像作品を発表してきました。今回配信されるのはその映像を1年ごとにまとめ、再編集したものになります(2017年、2019年分は未完)。この機会に「無言日記」を始めた経緯や同作と並行して作られていった他の監督作品との関係について、三宅監督自身に改めて解説してもらおうという趣旨のもとインタビューに臨みました。が、その冒頭で最近「無言日記」の映像をほとんど撮れていないことが発覚! これまでを振り返るインタビューのつもりが、次第に今後どうしていくのかという無言日記ブレインストーミングの様相を呈してゆき――。
(聞き手・構成:黒岩幹子、取材日:2020年9月29日)

低空飛行で始めよう

――「無言日記」が始まってもう7年になります。最近はちょっと連載のほうも更新が滞りがちになってますが、ずばりちゃんと撮ってますか?

三宅 ちゃんと撮ってないです(苦笑)。いや、撮ってるんだけど、撮る量は確実に減ってますね。去年後半カメラの調子が悪くて、動画が全然撮れなくなった時期が続いたのもありましたけど、今年はそもそも外に出ることがほとんどないし、人にも会ってない。

――でも、東京国際映画祭の「TIFFティーンズ映画教室2020」の講師をやったり、横浜国立大学主催の講座「都市と芸術の応答体2020(RAU2020)」にゲスト参加しているのでは。

三宅 どっちもオンラインで完結してるんですよね。TIFFのほうは参加者の中学生とは直接会ってないし、RAU2020もディレクターの藤原徹平さん、平倉圭さんとしか実際には会ったことないです。

――RAU2020ではどういうことをやってるんですか? 「無言日記」も関係あるみたいですけど。

三宅 今年はまず「土木と詩」っていうテーマがありまして、映像でもテキストでもどんな形でもいいから共同で応答してみる、というプロジェクトです。いろんな専門領域のアーティストや学生などが国内外から参加していて、バラバラっちゃバラバラなので、一つのきっかけとして「無言日記」をいったん共通の「技」として全員やってみる、と。それで、「無言日記」の可能性と限界というか、映像で考えられることと考えられないことを一緒に探ってみたい、ということが最初にありました。なかなか「土木」が写ってくれないなあと序盤は思ってたんですけど、結果的に予想をはるかに超えて面白かったですね。

――三宅さんも「土木と詩」というテーマで何か撮ったんですか?

三宅 いや、撮ってないです。言いたいこと言ってるだけ。今年はほんと外に出てないし、ベランダから空撮ったりはしてたけど、だめですねえ。ただただ家にいて、家とスーパーの往復しかしてない。だから実は今日のインタビューをきっかけに、ちょっと前向きになりたいなって思って来たんですよ。

――え~、それは責任重大だなあ。まあ今回は「無言日記」の年間版を配信するということで、初めて見る人にもこれまで「無言日記」がどのように作られてきたかがわかるようになるべく順を追って話を聞きたいと思ってます。なので、まずはどういうきっかけで始めたのかを教えてください。

三宅 樋口(泰人)さんから「boidマガジン」を始めるにあたって、三宅もなんかやれないかと、iPhoneで映像日記を撮ってはどうかと提案されてからですね。最初に撮ったのは、2014年の1月中旬ぐらいかな? 香港のインディペンデント映画祭に行った時に、展望台でカップルが「2014」っていう(西暦の)モニュメントの横で記念写真を撮ってるカットでした。ちょうど香港にいる時に樋口さんから「撮ってる?」ってメールが来て、「やべえ、何も撮ってねえ」って慌てて撮り始めたんです。そのあと香港からドイツのマックス・オフュルス映画祭に行ったので、最初はまあ旅の途中から始まったっていう感じでしたね。

――樋口さんからiPhoneで映像日記を撮ることを提案された時、その理由を訊ねたりはしなかったんですか?

三宅 いや、全く。もともと日常的に写真もビデオも全く撮ってなかったんで、「何が面白いの?」っていうところからスタートしたけど、まあ樋口さんの言うことを信じてみようっていう、ただの妄信です(笑)。いろいろ聞くのも野暮かなと思ったし、「まあ続けていけばわかるだろう」っていうテキトウな態度ではじめました。直感的に、長く続けるためには気楽に、低空飛行で続けようって最初に思えたのがでかかったかもしれない、今思えば。そして3ケ月ぐらいやって、これは続けたほうが面白いかもなって思う出来事が少しずつ増えていった感じでしたね。
 わかりやすい例を挙げると、引っ越しのトラック(に荷物を積んでいるところ)を撮ってた時に、別のトラックがその横を通って脇道に曲がろうとしたら急ブレーキで止まって、その脇道から赤いパーカーを着てチャリンコに乗った男の子が2人続けて出てくるっていうカットが(2014年版の)最初のほうにあるんですけど、要するにいわゆる偶然の奇跡みたいなものが撮れちゃった時に、「わあ」って。それはシンプルに面白かったし、大きな出来事だったなと思います。というのも、そういう瞬間ばかりを狙ってしまうと「日記」ではないというか、自分はそういうものを作りたいわけではないんだな、と思った。なぜかはうまく言えないんですけど、こんな瞬間を撮ってしまったからには何も映ってないように思えるカットも撮らなければならないと思って、その後もいろんなところにカメラを向けて作っていった感じかなあ……

――狙ってないけど撮れちゃったものは面白いけど、そればかりだと日記にならないというのは日記という概念に合わないということ? それとも作品としてそういうカットばかりだとつまらないということでしょうか?

三宅 うん、作品としてなのかもしれないです。そういうカットがあるのは間違いなく面白い。それがあることによって次にまた何か起きるんじゃないかっていう、その可能性に目を凝らすことができるのが映画を見る面白さであることは間違いないよなと。だから、たまたまの奇跡みたいな瞬間をたまたま撮れてしまった者の責任として、何かすごいことが起きるかもしれないけど、今はまだ起きてないカットも撮らねばならないっていう義務感が生じた気がする。さっきそれでは「日記」にならないって言ったのも嘘じゃないけど、面白い映画にするにはそれ以外の瞬間も撮らねばならないと考えていたんじゃないかな。そういうことは『やくたたず』や『Playback』を作ったときからずっと考えていたことかもしれない。『やくたたず』や『Playback』で撮りたかったものと「無言日記」で撮ろうとしているものって、今思うと重なっている部分が少なくないと思いますね。「無言日記」にハマりだした時に、「あれ? 俺のやりたいことってこの『無言日記』の手法で結構できちゃうんじゃない? 劇映画で苦労したところが『無言日記』ならラクにやれちゃう?」って思ったことはありました。だから(「無言日記」は)自分では気づいてなかったけれどずっとやりたかったことだったんだな、という気はします。

見る喜びや撮る喜びを日常的に実践したい

――その他に「無言日記」を始めた頃のことで印象に残ってることはありますか?

三宅 『無言日記』をその年の1月に撮り始めて、2月に『THE COCKPIT』を撮ったんですよね。それからOMSBやHi’Specと定期的に会うようになったんですけど、彼らは日常的に、毎日ビートを作っている。それがすごく羨ましくて。というのも自分は『Playback』を2011年に撮ってから数年短編しか撮れず、長編を撮れそうな目途も全くなかった。そこでひとまず、OMSBやHi’Specが日々ビートを作るように自分はこの『無言日記』を作り続けてみよう、って刺激をもらっていたことがありました。2014年は外に出ると『無言日記』を撮って家に帰ると『THE COCKPIT』の編集をするっていう毎日だったんですけど、彼らが机の前で真剣にビートを作っている映像と自分の生活とが同期していくような感覚があって、続けられたんだと思います。
 あとは、記憶してたよりもカット数がめちゃ多かった。

――最初の頃は5秒もない短いカットを淡々と繋いだ部分とかも結構あったんだけど、そういうカットや編集は後々減っていきましたね。

三宅 それは撮る素材自体が減っていったからだと思います。最初の2年くらいは素材がひと月で3時間以上になった時もありました。撮り始めた頃は知らない言葉を覚えるみたいな感覚に近いから、とにかくいろんなことが初めてで楽しかったですよね。変な言い方をすれば、失敗しても構わない、自分の日記なんだから(笑)。この速いリズムで繋いでみようとか、ある程度やって飽きたらじゃあ長くしたらどうなるだろうとか、固定画面ばかり使ってたから今度はわざと動いてるところを編集点として生かしてみようとか、いろいろ試してました。
 月末のある日に一晩かけて編集している時は、普段考えられないことをいろいろ考えられました。A-B-Cとカットが並んでる時は全然面白くないけど、BをとってA-Cにしたらなんか面白く思えるとか、「いや待てよ、Cだけでいいんじゃね?」とか。正解もないからその時その時で違うことをやっていくので、あえて翌月はA-B-Cにしてみたり。それは「何を撮れば面白いの?」「映画の面白さって何だろう?」っていうことを実践的に考えることだったかなと思うんですよね。劇映画は時間をかけて準備して撮るっていう面白さもあるけど、やっぱりある特別な期間の特別な出来事で、日常的に撮れるわけじゃない。でも映画館に行って映画を見るような感じで日常的に撮ることもやりたい、見る喜びや撮る喜びを日常的に体で実践したいと考えてたところはあったと思います。

――それは練習するような感覚とはまた違うものなんでしょうか?

三宅 練習っていう感じでもないかな。最初はそういうふうに整理していた時期もあったかもしれないけど。ネタ帳的にスケッチを撮り貯めて、じゃあ今度それを劇映画で清書しようみたいなことを考えたことがある気もするけど、「無言日記」で簡単に撮れるものをわざわざ他人の労働力を巻き込んで劇映画で再現するなんてバカみたいな話だから。じゃあ劇映画で何がやれるのか、「無言日記」じゃ絶対できないことをやりたいなと考えるようにもなったから、言ってみれば「無言日記」は「無言日記」で完結していった、作品として自立していった、そういう変遷はあったと思います。

――今回新たに配信するのは1年分の映像をまとめたものですが、連載で発表しているひと月分の映像と1年分の映像の一番の違いは何でしょう? 1年分の作品を作る時にはどのように編集するんですか?

三宅 すーっと1年が経っていく感じにしたい。1年はひと月×12ではなく、1年っていう単位ですよね。月ごとの境界線は暦の上ではあるけれど、実際に生きている感じや映像の時間感覚っていうのは暦とは関係ないから、1年は1年という単位で編集のカットの長さが変わる。具体的に言うと、11月末と12月頭の境界線が見えるとすごく気持ち悪い。それを見えないようにしたくなる。例えば12月分は12月分のオープニングとしてこのカットから始めるのが面白かったけど、1年分通して見たら別に要らないからナシにしちゃう、といった作業をしています。

――2014年から順に見ていくと、2016年でちょっと変わった印象を受けました。まず時間が他の年より短いし、三宅監督がどんな仕事をしていたかがかなり具体的にわかる。

三宅 わかります、ロケ地がバレてる。本当にロケハンばっかりしてた。『きみの鳥はうたえる』は2017年に撮影したけど、もともとは16年に撮ろうとしてたんですよ。だから何度か函館に行ったり、『密使と番人』を作ることになって諏訪に行ったりしていた年で、劇映画と「無言日記」が並行しだした。あとミュージックビデオもいくつか撮った年だから、そのときのカットも入ってますよね。ロケハン映像とメイキング映像のミックスが2016年版。

「ワールドツアー」と『ワイルドツアー』

――2017年の分はまだ完成してないけど、その年はYCAM(山口情報芸術センター)でビデオインスタレーション「ワールドツアー」を制作していたんですよね。

三宅 2017年は一番撮り続けた年で、特に下半期の素材が多すぎてまだまとめられてないです。6月に『きみの鳥はうたえる』を撮影したあと、8月末からYCAMでの滞在制作が始まりました。最初は本当にノープランで(YCAMに)行ったんですけど、そこで何をやろうかって考えたときに、生活の合間合間でのんびりやってきた「無言日記」を一度真剣にちょっと拡大してみようという気になって。いわば「無言日記」が初めて生活と仕事の中心になった年です。そこから、ひとつは「ワールドツアー」というビデオインスタレーションが生まれ、もうひとつが『ワイルドツアー』という劇映画になりました。8月末に滞在を始めて、11月ごろにはこの二軸でやりたいと(プロデューサーの)杉原永純さんに伝えた記憶があります。

――「ワールドツアー」の映像を撮ってくれた人たちにはどの時点で依頼したんですか?

三宅 滞在して1週間後くらいにはみんなに集まってもらって挨拶がてらお願いしました。よくわかんねえ映画監督とかいう奴が来て、何やってるかわかんないって思われたままだと居づらいし、せっかく長く滞在するから何とか巻き込みたいと思ったんですよ。YCAMでしかやれないことをやりたいけど、まだここのこともスタッフのこともよく知らないから、まず自分のやっていることをオープンにしようと。それで、自分は「無言日記」というものをやっていて、それは手軽にデイリーにやれることだからぜひ皆さんにも一度やってもらいたい、そこから今後の可能性を一緒に検証したいです、という提案を最初にしました。自分以外の「無言日記」をみてみたかったし。普通だったら飲み会とかしてお互いのキャラとか考えを掴んでいくのかもしれないけれど、みんなの「無言日記」を鑑賞しあうこと自体がいいコミュニケーションになったし、実際に撮ってもらったものも面白かったから、これはこれでひとつの作品にまとめたい、と。YCAMではすでに染谷(将太)や空族もインスタレーション作品を発表していて、めっちゃ面白くて羨ましくなっちゃったのもありますね。空族が撮ったアジアも最高だったけど、こっちはすぐ目の前の道やら公園やらが映ってる感じで、それもきっといいじゃん、よしやろう、と。ドーンと大きいスクリーンを立ててうまく見せられればいい作品になるんじゃないかと考えました。
 ただその一方で自分の仕事はそれだけじゃないはずだという思いもありました。「無言日記」では撮れないもの、演出をしないと撮れないものがある。そういうものも同時に発表しないことにはなんか違う、なんか引っかかる、と考えていた気がするな……。まあ当時のインタビューでは、恋に落ちる瞬間とかは「無言日記」では全然映らない、演出しないと映らないから、そういうものを撮りたいという例えを出して説明してたんですけれど。

――『ワイルドツアー』は劇映画ですが、その内容というか姿勢の面では「無言日記」の延長線上にあったのでは?

三宅 「無言日記」の延長線上まっすぐにあったのは『きみの鳥はうたえる』ですかね。YCAM滞在中は『きみの鳥はうたえる』の編集期間でもあったので、昼は山口市内を歩き回って「無言日記」を撮って、夜は『きみの鳥はうたえる』の編集をしてたんです。だからどうしても近い手触りになったところがあるし、そもそも撮影前から『きみの鳥はうたえる』は、「無言日記」で掴まえた空気みたいなものを劇映画でも演出するにはどうしたらいいか、というのがあったと思うんですよね。「無言日記」と大きく違うのは役者やスタッフがいたり脚本があるってことで、それが違えば撮り方とか撮るものもやっぱ変わるよなって――でもむしろ変わるのも変? でもやっぱり変わる? 何が変わって何が変わらない? とか考えながら、実験というか実践してたと思うんですよ。その結果うまくいってもう満足したこともあればうまくいかなかったこともたくさんあったんですけど、うまくいかなかった点についてははやく新しい方法を試したくなるから。だから『ワイルドツアー』は、自分のモチベーションとしてはむしろ『きみの鳥はうたえる』と対になっていたと思います。自分としては、演出のルールみたいなものが全然違いました。ちゃんとした言葉にならないんですけど……同じような方向を目指すにしても、プロセスは全然違ったと思いますね。

――『ワイルドツアー』や「ワールドツアー」の制作を経て、『無言日記』に対するモチベーションやアプローチが変わったりはしませんでしたか?

三宅 とりあえず「ワールドツアー」で一回燃え尽きました(笑)。「ワールドツアー」は、20人ぐらいが撮った2万近くのカットを約3週間で編集したんですが、その作業によっていろんなものを掴めたけど、もう二度とあんな濃い編集したくないってくらい、いろんな種類の大量のカットを短期間にめちゃくちゃ見続けた。「ワールドツアー」はもう一度どこかで展示したいくらい気に入ってる大事な作品だし、やり切った感はありました。
 それから去年2019年に、SCARTS(札幌文化芸術交流センター)と一緒に「7月32日 July 32, Sapporo Park」というビデオインスタレーション作品を作ったのも大きいです。これは「無言日記」の発展版というか、「ワールドツアー」のコンセプトをぎゅっと「夏の公園の1日」に凝縮したような作品です。公園という狭い世界をミクロにもマクロにも色々と撮ったので、もうこの手法で撮れるものはほとんどなさそうだ、という達成感はあった。あとそれと同時期に『呪怨:呪いの家』をやっていたので、ザ・物語と格闘する必要があって、「無言日記」とそれはまだ相性が悪い感じもしたかな。今年はまた別の企画のためにシナリオを勉強し直したりしていたし、『ワイルドツアー』以降ずっと自分の物語観や演出観をカチッとさせようとしていた時期なので、「無言日記」の自由さとか楽しさみたいなものに甘えてると新しいことができないかも、って感じも自分の中にあったかも。

「発見する」から「制作する」へ

――じゃあ今後に向けて、続けるということ以外に何か展望はありますか?

三宅 展望はない……止めるともったいないという気持ちはめちゃめちゃあるけど(笑)。最初のころは何でも撮っておこうってやれたんだけど、最近は撮らなくてもいいかと思うことが多くなってしまったのは間違いないです。最初のころはそれまで日常的に撮ってなかったぶん、カメラマンとしての腕や技みたいなものが修練されてなかったから、その修練自体も面白かったんですよ。この空間に対してカメラをどう向けるかっていう試行錯誤の快楽があったんだけど、今は技術力みたいな点では停滞期ですね。前までは、カメラを向けて初めて「あ、なんか違うな」とか「でもこう向けたらいい感じになるんだ」とか実際に試すことで初めて見える世界があったけれど、今はカメラを向けた時の「なんか違う」感があんまりなくなっちゃって。「まあこうなるよな」みたいに、事前の予想通りな感じ。となると、あんまりカメラを向けなくなっちゃって。
 最初に話したRAU2020の時、藤原徹平さんとの議論で出た話題なんですけど、映像っていい意味でも悪い意味でも表面にとどまるものだと思うんですが、そこに甘んじるとただのコンポジション(構図)でしかなくなる、それって面白くない、と。そんなものはもう世の中に溢れまくっていて、目に見えている世界をあるコンポジション、あるセンスで切り取ってその良し悪しだけで見せることにあんまり興味がない、ってのは前から感じていたけど、最近よりハッキリしてきた感じがあります。だから、こう目の前にただ反応して撮ろうとする時に、一旦体にストップかけちゃってるのかもしれない。
 こないだ2014、15年の「無言日記」を見直した時に、単純にどのカットも記録として面白かったから、あまり考えず、本当に何も考えず、ただただ反応して撮ることに徹すればいいのかなあ、とかも思うんですけどね。2014年は「今だったらもう向けてないな、こういう瞬間」ってところにある意味で無邪気に(カメラを)向けてて。だって渋谷のスクランブル交差点とか絶対もう撮らないですもん。

――でも、何度もカメラを向けたところに、それでももう一度向けてみたら違うものが映る、風景が変わっているってことはあるでしょ?

三宅 ええ、変わってるんですよ、絶対に。何であれ撮ってみると数年後には自ずと歴史の一部になるわけで、それだけで撮る理由はまあまああるかもしれない。でも撮ってる時に今は「まあどうせ変わってるよね」って思うだけで、喜びとか驚きがない感じで、つらいなあ、みたいな。もしかしたらそんな喜びごときのために撮っちゃだめなんですかね。

――ある風景がどのように見えるか撮る前にわかっちゃうってことは、ある意味それが自分の中で有限なものになってしまったということでしょうか?

三宅 今までの「無言日記」の技術で捉えられる風景は有限というか、新しいはずの風景が前のバリエーションにしか思えない感じに陥っちゃっていて、それが面白くないのかも。もっと広げようと思ったら、今までやっていたこととは狙いどころを変えないと次に行けないなっていう感じですかね。「無言日記」撮ってる時ってワンカットごとにしか物事を考えてないんですけど、例えばひとつの出来事に対して寄りと引きを両方撮るだけでもたぶん捉えられる領域が一気に増えるはずだと思うんですよ。ただ、もはやそれは……

――「無言日記」ではない?

三宅 そう、今までのとノリが違う感じがするかな。まあ別に違ってもいいからやりゃいいんですけどね。すでに、数年やってきて変わってきてるわけだし。
 さっきただのコンポジションを作っても面白くないって言いましたけど、「ワールドツアー」制作中に勉強していたのは宮本常一の仕事のことでした。そこには、大文字の歴史には残らない生活の記録というか民俗の記録をするという目的や興味がはっきりあると思うんですけど、写真からインタビューまであらゆる手段を尽くして、ノンテーマかというくらい広範囲に記録されていて質量共にすごいことになっている。自分の「無言日記」もノンテーマといえばノンテーマで、デイリーに流れていくものの中にいろんなものが映ってくるっていう、それがいいところでもあるけど、ただ入り口の扉が並んでるだけって感じもあって、ちょっと歯がゆいなあ、これでいいのかなあ、と。常一のような記録のモチベーションが自分にはないから当たり前なんだけど。
 今まで「無言日記」って「発見する」ことと「記録する」こと、このふたつの単語を使って喋ってきたんですよ。で、記録はあくまで結果的なことであって、たとえばバウスシアター(吉祥寺にあった映画館)がなくなるから記録しとこうって感じで撮ったことは一度もない。結果的にそれが記録になることは承知しているし、時限爆弾のように作品の価値にもなっていると思うけど、自分のモチベーションはそこにはなくて、自分としてはカメラを通してしか見えない世界を発見することが楽しい、と話してきていて。そして、普通の劇映画を作ることも、映画館に行って映画を見ることも、全部が「発見する」っていう言葉でまとめられるので、便利にインタビューなどで使ってきたんです。「見る」を「発見」に言いかえることですごい強化される感じがあって、気に入ってたんですが、ただ最近、飽きたなと。発見したあとのことを考えるようになってるというか。

――これまで「無言日記」は何よりもまず発見するための手段としてあったけど、発見するだけじゃ飽き足らなくなったから、その手段自体についても再考する必要を感じるようになったということ?

三宅 発見するための手段だったんだけど、コロンブスが新大陸を発見したのに上陸せずに躊躇しているような感じ。上陸してもっと奥に入ってみようって時には別の道具が必要かも、もしかしたらもう「無言日記」の役目ではないのかな、とか……。
 ただ、最近ひとつの突破口としてありえるかなと思ったのは、RAU2020のある参加者から「三宅さんは“発見する”って言葉を使ってるけど、自分は“制作する”だと思った」って言われたんですね。もともと、「制作する」という言葉だとそのまんますぎる感じがしたからわざわざ「発見する」に言い換えてみていたわけですけど、改めてすごくピン!ときて。撮る瞬間というのはフレームを作って新しいものを生んでいるわけだから、「発見」してると同時に「制作」してるってことだよな、と。うまく伝わるかわかんないけど、映画とか映像をコピーだと認識するんじゃなくて、もうひとつ別の新しい世界を作っていることだと自覚する、ということになるのかな。「無言日記」も、あるひとつの王国や地図を作るようなつもりで、一年かけて何か別の世界を作るんだっていうモチベーションでやってみたらまた面白く取り組めるかも。たとえばその世界には、バウスシアターもあって、渋谷オーディトリウムもあって、虫も生きてる。ある世界を制作しているんだと思えば、じゃあこの世界には雨も必要だなとか、このコップ越しにみえるカットも必要かもなっていうふうに広がっていくんじゃないかな、とか?

――具体的にどういうものになるかはわからないけれど、ドキュメンタリーみたいに何らかのテーマを掘り進めるのではなく、ただ発見の先にある世界や地図のようなものを制作することができるのならば、それは新しい試みになるのかもしれない。

三宅 うん、できた時の見た目はそんなに変わらないかもしれないけど。
 今年はこの特殊な2020年をちゃん撮ろうとかいうジャーナリスティックな気持ちがまったく湧かなくて、だから何気ない商店街とか去年まで撮っていたような街の感じとかぜんぜん撮れなくて。そのかわり、じっとしてる時間が長かったから、雲がゆっくりと流れていくだけのカットとか、ただ木の葉が揺れ続けているだけとか、そういう狙いすましたようなカットばかり撮ってた。まだ繋げてないからなんとも言えないけれど、超つまんないような予感もする。あんまり意図が強いとどうなんだろう、やっぱり2014年頃みたいにラフに雑に反応して撮られたものが面白いんじゃないかと思ったりして、最近慌てて渋谷とかどうでもいい場所とかを一応撮ってみたりしてますけどね。いや、一体なにに慌ててるんだ……。

――そういえば現時点で最新の「無言日記」、2019年3~6月分の動画は、ちょうど1年遅れで緊急事態宣言下の4、5月に「boidマガジン」で配信したんですよ。これまでも多少のタイムラグはあったけど、撮影された1年後に初見で見るのは初めてで、その時間の経過は結構でかいなと思いました。特殊な状況下だったせいもあったろうけど、1年経ったという感覚を抜きには見ることができなかった。

三宅 そうですね、いろんな出来事がめちゃくちゃな速度で流れていく今の世の中で、時間が全然違うところにあるもの、時間がズレているものって面白いなと思う。1~2週間前の出来事どころか昨日のことも今日は話題にならないみたいな近視眼的な世界で生きるのは結構しんどいから、軸足を今と違うところにも置きたい。ちょっと余談だけれど、今年はいわゆるクラシック映画ばっかり見てるんですよ。ジョン・フォードやブレッソンのブルーレイを買って。いやあ、きれいなもんですね(笑)。びっくりする。もう物語が入ってこないくらい美しい。で、そうやって古典映画を見てると、現在が対象化できるというか、落ち着く感じがあって。だから「無言日記」が1年遅れ(の更新)になってるのも、時間を脱臼させられるというか、それが救いになってる部分もあるように最近思うから、「無言日記」はこれからも遅れ続けます! …ってやばいか(笑)。

――どこかの時点で破綻するだろうね(笑)。ただ、もし「発見する」から「制作する」に意識を変えていくのであれば、時間に対する感覚や時間の使い方も自ずと変容していくような気はします。たとえば最近は結果的に撮影してから編集するまでのタイムスパンが長くなっていると思うんだけど、そのことによる影響はありませんか?

三宅 変わってたらいいなあ。撮った前後とかほとんど忘れてるから、日記の感覚は消えてるかもしれないです。でも昼とか夜とか、光が逆の時間になっているように見える繋ぎは気になるから、不可逆な流れにしたいのは変わってないと思う。あと、あちこち移動していた時、最初はいちいち移動カットの有無とかを編集の時に気にしていたんだけど、最近は移動カットとか駅や空港などの中間の場所のカットがどうでもよくなってきた感じもあります。それがどういうことかはぜんぜんわからない。大抵は撮らずに過ぎ去る場所の駅とか空港にカメラを向けるのも「無言日記」な感じがするから、うまく活かせればいいんだけど。


三宅唱監督『無言日記』2014〜2016を見る https://vimeo.com/ondemand/mugonnikki


三宅 唱
1984年生まれ。2010年に初長編映画『やくたたず』を監督。長編第2作 『Playback』 は2012年のロカルノ国際映画祭に正式出品された。2015年にドキュメンタリー映画 『THE COCKPIT』 、2017年に時代劇『密使と番人』、2018年に 『きみの鳥はうたえる』 、2019年には 『ワイルドツアー』 を発表。また、「ワールドツアー」(2018、YCAMと共作)や「July 32, Sapporo Park」(2019、札幌文化芸術交流センターと共作)といったビデオインスタレーション作品も制作している。監督を務めたNetflixドラマシリーズ『呪怨:呪いの家』(全6話)が配信中。

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