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バラバラになった花たちの欠片に捧ぐ
相澤虎之助監督『花物語バビロン』『バビロン2 -THE OZAWA-』
文=荻野洋一

植民地主義の起源を遡行する
『地球の歩き方』を抱え持って日本社会の閉塞からいっきに脱却しよう、などと、『花物語バビロン』(1997)の主人公は臆面もなく宣言する。はじめに自分捜しありき。いま、ここに自己同一性を確立できない人間は、できるだけ早くここからずらからねばならぬ。死にたくないならば。
『花物語バビロン』が作られた1997年、映画制作集団・空族はまだ存在していないが、すでにこの『花物語バビロン』にして空族の将来的在り方は宣言されている。ヒッピー、アメリカンニューシネマ、ベトナム帰りの薬物依存が、日本の1990年代的シネフィリーにあらたな文脈を与える。弱冠20歳の相澤虎之助が早大シネマ研究会時代に8ミリで作った自主映画『JUDGE NOT』は1995年のPFFアワードに入選しているが、大学生のナンパを主題とするこの8ミリ映画は、15年後に発表されたシリーズ第2作『バビロン2 -THE OZAWA-』(2012)のオザワという主人公像を素描している。
『花物語バビロン』では第三世界への冒険に出る主人公青年が『地球の歩き方』的自分捜しの紋切型から出ることはない。この紋切型ツーリズムから出発して、芥子の花の妖しい形状そのものへの凝視へと誘導され、芥子を原料とするアヘン、次いでヘロインの国家的大量生産と販売網が、大航海時代から産業革命、帝国主義をつうじて植民地経営の金銭的なバックボーンとなっていた裏面史の復習へと誘導されていく。第2作『バビロン2 -THE OZAWA-』に至って、植民地主義の起源を遡行する旅は、富田克也が演じるオザワという主体を得て、いっきに具体性を帯びた。この具体性はやがて2017年の大作『バンコクナイツ』の同じ名前をもつ主人公オザワへと受け継がれていくだろう。
 キリスト教布教、植民地経営という主目的は、麻薬・売春・戦争・再開発を反芻回路としつつ長期にわたって果たされてきた。したがって、空族の中心メンバー富田克也、相澤虎之助が、「黄金の三角地帯(ゴールデントライアングル)」と呼ばれる芥子の花の大栽培地のタイ、ラオス、ミャンマーへ関心を移していくのは当然の帰結であった。新宿歌舞伎町で風俗営業のスカウトに励んでいたオザワはサイゴンへ、そしてバンコクへ、さらにはタイ東北部のイサーンへと移動し、転戦していく。そこでオザワは図らずも(この「図らずも」という副詞が重要である)植民地主義、もっと明確に言うなら帝国主義を彼自身が身をもって再定義することとなり、先進国の男性が第三世界を訪れ、当地の女性たちと懇ろとなりつつ「楽園」を実感するという、果てなき男根中心主義の当事者を「図らずも」再演することとなるのだ。
 紀元前3400年ごろにはすでにメソポタミア文明で芥子の花が栽培されていたとされるから、人類は文明のあけぼのから麻薬と共にあったということになる。人類は新石器時代にはすでに芥子の花のなんたるかを知っていたと、『花物語バビロン』の字幕スーパーは語る。古代シュメール、古代エジプトでもアヘン製造の記録があり、ヨーロッパにおいてはギリシャ、ローマでアヘンが医薬として使用され、中国でも六朝時代の著名な書家・詩人であり、漢方医学の骨子を築いた陶弘景(456-536)が自身の研究成果の集大成『本草経集注』(500年頃)の中で医薬品としてのアヘンに項を割いている。王朝が交替すると、梁の武帝はそんな陶弘景の才知に頼り、元号の制定、吉凶、軍事など、国政のあらゆる面に陶弘景の意見を取り入れることになる。
 どうしてこれほどまでに、あらゆる文明は麻薬と共存共栄してしまったのだろうか。『花物語バビロン』の中で示唆されるとおり、1960年代以降、ロックスターが愛好したイメージによって、にわかに反権力・反権威の衣を着はじめた麻薬ではあるが、歴史の中では圧倒的に国家権力をアシストする物資であり続けた。東洋文明は数千年にわたり西洋文明よりも先進的だったが、ヘゲモニーの歴史的大転換をもたらしたのは、1840年に勃発したアヘン戦争である。東洋の盟主たる清がイギリスに惨敗することによって、産業革命を推進した西洋文明の優位が確定した。ナポレオン戦争をどうにか切り抜けてまもないヨーロッパが、ついに世界の天下を取る時代が到来したのだ。日本が幕藩体制をつぶして刷新を急いだのも、アヘン戦争の勝敗に衝撃を受けたためだった。

衆人みな酔い、我ひとり醒めたり
 とはいえ時計、望遠鏡といった産業革命の産物は、たいした儲けにならない。そんなものは富裕層向けの道楽にす
ぎない。イギリスは清から茶葉、陶磁器、シルクといった品質も値段も高い製品を大量に輸入していた。大幅な輸入超過を相殺するのには、イギリスの誇る産業革命の製品では小粒だった。植民地インドで大々的に栽培するアヘンこそがヨーロッパのアジアに対する優位性をやっとのことで保証したというにすぎない。矮小なり、ヨーロッパの近代よ。
 ヨーロッパの矮小さは、いつまでも、いつまでも再生産され続ける。第二次世界大戦後も、朝鮮、ベトナム、中東で繰り広げられるアジアでの戦争は、ヨーロッパ的矮小が依然として健在であることを示す。そのからくりをこそ、『花物語バビロン』『バビロン2 -THE OZAWA-』の相澤虎之助、そしてそのコンセプトを継承・敷衍させた空族が、自分たちの身体を晒して再演しているという構図を見なければならない。したがって、先ほど述べた男根中心主義の当事者演技もあいまって、相澤虎之助→空族の活動は、「何も考えていない」男の楽天的な無頼性に依拠しつつ、つねに自己批判を内蔵させている。おのれの内なる植民地主義、残存せし封建主義、そして男根中心主義を「図らずも」俎上に上げることによって、空族で制作される映画は意識的に、俗物的な悪臭をあたり一面に放っている。ポストバブルの恩恵にかろうじてあずかった日本の無頼人が東南アジアの売春街で、世知辛い日本では失われた「楽園」性を実感した、という物語が反復されつつ、この楽園が植民地主義の搾取の別名にすぎないことを、撃ちつづけている。
 この構図は、毒物を薬にする医学の世界と相通じるところがある。モルヒネは今もなお、重篤なガン患者にとって最後の鎮痛剤なのであり、そのモルヒネもヘロインもアヘンから製造される。アヘンは芥子の花から。戦場で重症を負った兵士の激痛と死の恐怖を和らげてやるため、同僚がモルヒネ注射を打つシーンは、ハリウッド映画の定番的イメージとなった。そうか、ああやって人間は、恐怖を、痛苦を、悲しみをどうにかやり過ごせるのか。アメリカ映画におけるモルヒネの存在感を目の当たりにしつつ、私たち一般人も、末期ガンに晒された際の恐怖と苦痛の回避法を予習していると言っていい。
 先進性を謳歌した古代の東洋においてその効能を学術的に体系化した代表例が、六朝時代の文人・陶弘景だったとすれば、ヘゲモニーを逆転させた近代ヨーロッパにおいて麻薬の医学的貢献を喧伝してまわった代表例が、ジークムント・フロイト(1856-1939)だろう。精神疾患、神経疾患にはヘロインが有用だと説き、みずからヘロイン服用にのめり込んだ。フロイトはウィーンで精神分析の大家となる以前から、パリ留学時代すでにヘロインを常用していたと言われる。
 フロイトがヒステリー研究を深化させ、精神分析学を創始したのと同時代、ドイツの製薬会社バイヤー(Bayer)社は1898年にヘロインを大々的に売り出すキャンペーンを打った、と『花物語バビロン』の字幕スーパーは表記する。「国際的な販売強化をおこなったのである」。1863年に創業されたバイヤー社は柳の枝から有効成分を取り出した鎮痛薬アスピリンを大ヒットさせ、世界的な大企業となった。アスピリンに次ぐ大ヒットをめざして19世紀末に売り出されたのがヘロインである。フロイト精神分析の発展と、ヘロインがドイツの優良企業によって大々的に売り出されるキャンペーンがほぼ同時進行でおこっているということ。この並走性、この同時多発性こそが問題となるのではないか。
 フロイトによる精神分析の創始、バイヤー社によるヘロインの販売開始が同時期であること。さらには1895年12月のシネマトグラフ・リュミエールのパリにおける初上映、その2ヶ月前となる1895年10月の、ドイツ・バイエルン州のヴュルツブルク大学の研究室内における驚くべき発見。つまり、ヴィルヘルム・レントゲン(1845-1923)による放射線の発見である。この手を取り合ったかのごとき同時多発性は、およそ120年を経た現代にとっても重要である。精神分析、ヘロイン、映画、放射線が同時期の産物であることに、私たちはもっと敏感でなければならない。さらにここに1894年のドレフュス事件を加えてもいいかもしれない。オーストリア=ハンガリー二重帝国、フランス第三共和政、ロシア帝国が特に反ユダヤ主義の旗色が濃厚だったと言われる。ナチスドイツにとってホロコーストの根拠となったとされる史上最悪の偽書『シオン賢者の議定書』はいかにして成立していったか。帝政ロシアの秘密警察「オフラーナ」の長ピョートル・ラチコフスキーの指示のもと、同書が成立したのは精神分析、ヘロイン、映画、放射線と同じ頃であった。フロイトがパリからウィーンに帰って最初の著書『ヒステリー研究』を出版した1895年、レントゲンがX線を、リュミエール兄弟がシネマトグラフを披露し、原子力と映像の世紀が幕を開けたのだ。アドルフ・ヒトラーは著書『我が闘争』(1925-26)の中で『シオン賢者の議定書』を絶賛し、後年のホロコーストの論拠とした。
 『花物語バビロン』『バビロン2 -THE OZAWA-』の2作には、麻薬栽培と販売、植民地主義、帝国主義をめぐって発掘された真実への希求がワンカットごとに描かれた。そしてその真実とは正統的なそれではなく、盗掘した墓の下から陽の目を見た、正視に耐えぬ夾雑物である。『バビロン2 -THE OZAWA-』は新宿の歌舞伎町ではじまり、歌舞伎町で終わる物語である。2020年、この町はあたかも日本におけるパンデミックの震源地であると喧伝され、既存メディアに告発され続けた。新宿は現代日本の権力機構にとって浄化キャンペーンを誘発してやまぬ依存物質となった。だからオザワはそこをディパーチャー/アライヴの地とした。新宿から飛んで上陸する最初の地サイゴンを起点にインドシナ半島を徘徊するオザワの冒険。ところが非常に面白いことに、公開当時に掲載されたインタビューを読むと、なんと監督であるはずの相澤虎之助はこのインドシナロケに立ち会っていないというのである。盗掘された副葬品としての偽史。それをみずからの物語として語る監督がロケーションに参加していないという痛快なる真実。相澤は、盟友の富田克也が持って帰ってきたインドシナ半島各地で撮影してまわった膨大な8ミリフィルムを、埼玉の実家で試写しながら真実による偽史として捏造しはじめたのだ。この捏造ぶりをもって自分捜しの地球歩きは、喜ばしき自己批判として一人歩きしはじめた。『地球の歩き方』を片手にベトナムを彷徨した『花物語バビロン』の主人公はラスト近く、ある草原に生えた一本の草花の前で泣きながら合掌する。合掌の先に見えるのは丸く、不気味なまでに可憐な芥子の花。「バラバラになった花たちの欠片。そのひとつひとつが思い出だ」と言う主人公は、東京に戻ったどこかの邸宅の居間で、こう軽やかに宣言する。「たった今から俺がヘロインだ」と。
 偽史の書き手という立場から、ついには偽史そのものになっていく主人公。『バビロン2 -THE OZAWA-』から『バンコクナイツ』に移行する主人公オザワは、「バラバラになった花たちの欠片」を拾い集めながら、ヘロインそのものとなった『花物語バビロン』の主人公の消滅の遺志を継承する。空族が語る偽史の代理人オザワもまた、いつかはどこかへと消滅していくだろう。それはいつのことか。どこへむかって消滅していくのか。2020年、パンデミックによって強いられた停滞・待機・保留が、よりいっそう消滅の儀式へのサスペンスを扇動しつつあるのかもしれない。

バビロン1&2を見る https://vimeo.com/ondemand/babylon1and2
長い予告編シリーズを見る https://vimeo.com/ondemand/nagaiyokoku

荻野洋一(おぎの・よういち)
1965 年生まれ。番組等映像の演出・構成作家/映画評論家。刊行の最初期から休刊まで「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員を務める。「リアルサウンド」「キネマ旬報」「boid マガジン」「NOBODY」等で執筆。
20代の時に監督した短編映画『ウィリアム・テロル、タイ・ブレイク』(1994年に中野武蔵野ホールで公開)が、今春スタートの動画配信サービス「鳴滝(なるたき)」で配信される予定。上映時間20分。
荻野洋一映画等覚書ブログ blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

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